世のため人のため

今日も低調かつさくさくと仕事をして自宅へ隠遁しよう…と悲しみにひたって作業していたのだが,他のパートでトラブルが発生してささやかながらサポートすることとなった。そうして人のために何かできると確信できたら,虚しさと苦しさは吹き飛んだ。「確信」ってとこが自分でどうにかすることが難しい部分なんだけど。ということで,落ち込みモードはあっという間に終わってしまったのだった。
そしてちょっと考えてみたのだが,こういう強い感情は自分の場合,より自分と遠い,世間よりの人に対して抱く傾向があるんだなと気づいた。家族とか,パートナーといった近くの人には弱いというわけじゃないけど,もっとさりげなく永続的なサポートを与えたくて,一時的な強いものを提供するのはなんか嘘っぽくてやる気にならない。1回こっきりの行動よりも,変らぬ態度で伝え続けたい。これは今のところ周りに恵まれてて,支えてもらってるようなものだからなのかな。でも,強い感情は世界のために,穏やかな感情は身の回りのために使っていきたくて,その両方を持ち続けることが自分をうまく操縦するコツだとなんか思ったのだった*1
そういう流れで引いてくるのはアレだけれど,サンクチュアリの夜回り先生のページ掲示板がなくなったかわりに夜回り先生からのメッセージが置かれている。
http://www.sanctuarybooks.jp/mizutani/message.html
目を上げてまわりを見ようという呼びかけは正しいと思う。自分も1票入れる。そして「絶対裏切らない自然に触れること」や「 死は人に語るものではなく,自然に受け入れるもの」という言葉に現場の発言だなぁと感銘を受けている。

*1:もちろん,それを持ってるのも使うのも自分なので,絶対的に正しく行使できるとは限らないけど。