「リンダリンダ」KOKAMI@network

最近の鴻上さんの芝居を見にいっては「こういうところは好き」とか「自分としては好き」だとか限定で褒めていることが多い*1。今回は組!人気もあるし遠慮しようかと思ったのだが,ブルハ好きとしては…と行くことにしたわけです。
最初の唄が痛々しくて悪い予感があたったような気がしましたが,久々に見終わったあとの爽快感があった。そう,最初は歌が聞けたもんじゃなかった。なんでヒロトのを使わんのか!とプンスカしていた。声があまり届いてこなくて,パンクといいつつ全然パンクじゃないじゃん。事前の宣伝では「吼える」ということだけど,ほえているようには感じられなかった。しかし,パンクではないが消化して歌いこなしていた松岡充はいい。彼の歌で徐々にストーリーに入り込めて行った。
山本耕史の言いたいことが体中にあふれているような爆発力はいい。いいのだが,それが唄にのっていないのが非常に,非常に惜しい。唄に爆発させるという意味では北村有起哉の方が断然伝わってくる。
北村有起哉,今まではナイーブな役が多いと思ってたのだが,京晋佑さん系の役(つーか,大倉孝二化だな)を開拓したのか。意外とあっている。
大高さん演じる過激派の本名,秋田健太郎はデジャ・ヴュでの大高洋夫の役名。闘争を彼は30年間やめられなかったのか。大高さんは声の通りなどさすがといったところ。ギターもけっこう弾けるんだ。確かに以前から1フレーズくらいづつは弾いてるの見てきたが。
生方和代さんが好きなんですよ。なんか,もっとメイン絡む役でいいと思うんだけどな。もっとここ以外でも活躍していい役者さんだと思うんだけど。生方さんはサチエを愛してたとゆー裏設定があったんですかね。それとも負け犬的な同士感?気になったものの良くわからず。
ストーリーについては,山本耕史演じるリーダーの行動は初期の段階から説得力のないものだったと思う。「引っ込みがつかなくなった」というのがその通りに思えるから。だから,爆弾でムツゴロウを呼び戻すことはストーリーには全く関係がないのだ。「ごあいさつ」*2にあるとおり,関係性の話なんだね。ならば,メンバーたちがそれぞれどう歩き出すことにしたか,それがこの芝居の良し悪しを決めるのだ,そう思った。
メッセージ性のある台詞が心に残らなかったのは残念だったが,北村有起哉の行動によって元の場所に戻ってこれた人々の表情の明るさが,ラストでの爽快感を産んでいた。ここでも松岡充が引っ張っている気がした*3。そして「終わらない歌」が最後に来ることで,「ロックは反抗だ」から「このクソッタレな世界を受け入れて,それでも僕は僕が信じるものを歌うのだ」という新たなメッセージを彼らが手に入れたことが伝わってくる。歌がだんだんマッチしていって,最後にピタッとはまった感じ。最初の方は日が経つにつれ直っていくといいなーと思います。余計なお世話ですが。
ちょっと気になったのが,「うっかり台詞を間違えて笑いを取る」ところ。鴻上さんの芝居はこういうところまで計算づくだったりするのだが,今,これをやられても少し引く。というのは,第三舞台のギリギリまで鍛え上げた役者さんたちで,台詞からダンスから隙がないところでミスられると緊張が解けてぶはっとウケるわけだけれど,ダンスなどに凄みが感じられないので,なんかぬるい空気が漂ってしまってダメだ。役者だけでなく関係者一人一人が売れてしまって濃い練習は無理なのかなぁ。劇団員じゃないから演出の意図をなによりも優先させられないのか。これも余計なお世話だな。
なお,久々に第三舞台のサイトを見直していて,第三舞台の項に「あとがきにかえて」という章があったのに気づき,読んで,息を飲んだ。ここまで赤裸々に役者が語られていたとは。

*1:「幽霊はここにいる」は自分は好きだった。「天使…」は曲があっていたと思う。「ピルグリム」は想い出の作品だし…。

*2:「ごあいさつ」のエピソードは知ってた話だが面白く読んだ

*3:自分には共有した時間で変化したことが明確に感じられるのは彼だけだった