「友の死」

上記とリンクして,「新選組!」についての感想。ネットでいろいろ興味深い評を読んで満足しているのですが,このドラマは自分も語りたくなりますね。
新見→鴨→山南と死んでしまう人にばっかり思い入れさせられてつらい。
山南についても思いっきりひいきして考えてしまうんですが(三谷幸喜さんや堺雅人さんの意図すらも無視して),あれだけ人が斬れない描写を見せられていながら,私は彼が「自分は人が斬れない」ということで悩んではいなかっただろうなぁと思っています。「いや,斬らなきゃいけない人間を殺すのはやぶさかではないが,斬らなくても済む人間は斬らずに済ませたい」と思っていたのではないかと。もし,どんな人間も斬れないと考えたまま武士であり続けたならもっと苦悩していたのではないかと思ってしまうのです。まぁ,新選組にいればその逡巡はどのみち足手まといなわけですが。
何より彼が悩んでいたのは,自分が一身を賭して作り上げた新選組が自分の理想からどんどん離れたところに進みつつ大きくなっていったことだと思います。それをなんとか変えたくて,そのために死ななくても良い人間を死なせてしまった。自分が動いたことで出来た集団が自分の理想のようにならず,自分が動いたことで人を死なせてしまった,自分が動けば動くほどまわりを不幸にしてしまう。それに絶望して隊を離れたのではないかと。確かに剣の腕や参謀としての出番は減ったと思うのですが,顔の広さというか折衝役として,仕事をしようと思えば出来たと思うんです。自分の働き場所を得るだけなら,部品に徹するつもりならば。でも,それは理想とは違った。現実との落としどころも見つけられなかった。それが不幸だと思います。
そんな不幸とか不器用とか「不」系のネガティブワードで語ってしまいがちな山南を「信じやすい」と言ってくれた明里に涙。そのあとで「アホや…」って言うんですけど。明里は身を捧げていたものに虚無を覚えていた山南を満たしてくれた存在でした。見てるこちらとしても彼女に助けられた部分は多いです。
そんな彼が隊に戻ったのは「もう私の後では死んではならない」という想いだったのではないかと思います。だから,皆の意図を察しても戻るのです。「こんな悲しいことはもうたくさんだ。次には起こしてはならない」ということを身をもって伝えるために。局長が部下の声に耳を傾けられるように。団結することで,進む方向がそれて死ぬものがでないように。仕事をおろそかにして死ぬものが出ないように。それは彼の理想に沿った,彼にとってもやる意義のある最後の大仕事だったのでしょう。
明里の菜の花は,知性によって100%ないと結論づけられることでも現実にはありうるのだということを教えてくれたのかなぁ。死ぬ前にもう一つなにかを信じても良いと思えたような表情が素晴らしかった。もしかしたら切腹を決意しても山南は新選組の明るい未来を信じられなかったのかもしれず,しかし菜の花に希望を見たのかもしれないと。